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熊本県玉名市 - 高瀬船着場跡・俵ころがし - 菊池川の清正刎・石塘2015-04-01


高瀬大橋
菊池川に架かる橋で、高瀬裏川の緑地を横切るように国道208号が走ってます。


                    高瀬裏川に架かる、桁橋群。

高瀬眼鏡橋
高瀬裏川下流部にかかる2連アーチの石橋です。嘉永元年(1848年)、町奉行の高瀬寿平らによって架けられました。
東陽村の名匠石工橋本勘五郎により架けられたといわれています。




                                                  上流側より。
                                                 橋面。

                                                下流側からみた、併設された樋門。                               
 秋丸眼鏡橋

水流量を調整する分流板を備え、樋門、敷石等の施設を付属させた石造橋です。
天保3年(1832年)に架けられた。なお、県道16号線改良に伴い移築された。
種山石工活動前の古い時期に属する石造橋で、樋門を併設した利水上の機能を有する貴重な橋です。
 ※昨年訪れた。「高瀬裏川 花しょうぶまつり」の様子はこちらで ↓
        玉名市 高瀬裏川、花しょうぶまつりと石橋 -- 高瀬裏川の桁橋群    2014-06
                    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/06/01/7332543
        玉名市 高瀬裏川、花しょうぶまつりと石橋 -- 高瀬目鏡橋・秋丸目鏡橋    2014-06
                    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/06/01/7332437





「フランス積み」と呼ばれる、煉瓦つくりの橋脚が魅力です。



高瀬船着場跡「俵ころがし」
旧渡頭:揚場

旧渡頭:俵ころがし

新渡頭:俵ころがし

新渡頭:俵受け

高瀬船着場跡「俵ころがし」
加藤清正は肥後入国後、船の発着場や米蔵(御蔵)を整備するなど、港の規模を大きくする事業に力をそそぎました。
清正のこの事業は、そのまま細川氏に受け継がれ、船着場、御蔵などの施設はさらに充実しました。川べりへ通ずる石敷の「俵ころがし」とよばれる坂道と、川へ突出する石畳と、御蔵へ通ずる石段などを築きました。

川尻の御蔵前船着場跡も、JR鉄橋の下でした。「俵ころがし」もあります。
川の下流で、発展した町ができ、物流が盛んになり、線路が通るってことでしょうね。


菊池川の清正刎・石塘




菊池川の清正刎・石塘
加藤清正により、菊池川の治水及び新田開発を目的に築造されました。
菊池川には、ところどころに轡塘(くつわども:遊水地)を築き、蛇行するところには数多くの石刎(いしはね:水の勢いを和らげる)を設け、洪水被害を軽減させました。

菊池川沿いにあるハゼ並木は、藩の財政再建のためのロウ専売制のために栽培されたものの名残で、昔の面影を伝え、美しい河川空間を創り出しています。



※ 加藤清正の偉業

馬場楠井手の鼻ぐり - 菊陽町:馬場楠井出の鼻ぐり公園     こちら ↓
                          http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/28/7476166
川尻の御蔵前船着場跡、御船手渡し跡 - 熊本市南区           こちら ↓
                          http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/27/7474977       

熊本県玉名市横島町 - 旧玉名干拓施設、潮受堤防と末広開(旧)樋門群2015-04-01

玉名市高瀬地区から、高瀬大橋を渡り南へ、旧玉名干拓施設を見に横島町へ向かいます。
横島山(外平山)を越えると、道が碁盤の目のようになっている干拓地が広がります。

「旧玉名干拓施設」の案内に沿って走ると、港いこいパークに着きました。


略図が載っていますが広すぎてどこがどこやら???  準備した地図で再確認です。



玉名の紹介文に、
「堤防というより、城の石垣のような干拓施設跡、
江戸~昭和にかけて築かれた玉名の万里の長城」 とあります。 まさに強固な石垣が続きます。

                                                大豊開潮受堤防


明豊開潮受堤防


                       明丑開潮受堤防




六枚戸
末広開東三枚戸、末広開西三枚戸、末広開二枚戸の樋門(通称 六枚戸)3基。













下の現代図と比べると、明治時代の干拓時の潮受堤防であることがわかります。
重要文化財に指定された明治時代の堤防、このように長い距離、そして、排水用の樋門がきれいに残されていることが、文化財に指定された重要なポイントなのでしょう。