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福岡市東区箱崎 九大通りをぶらぶら2015-03-10


九大箱崎キャンパスを散策したあと、吉塚まで九大通りをぶらぶらしました。

すてきな建物を見つけました。

蔵つくり、裏には煉瓦造り。すごく魅力を感じます。すてきな佇まいです。



玉取恵比寿神社
筥崎宮の北200mほどの場所にある末社 玉取恵比須神社です。




九州大学箱崎キャンパスに近い「馬出(まいだし)通り」バス停です。
なんと今も現役のバス停留所です。 チンチン電車の名残ですね。
福岡市東区馬出に旧福岡市内電車(1979年に廃止)の痕跡が残っています。




箱嶋家住宅
桁行3間半梁間6間半の切妻造平入で、屋根は桟瓦葺。今尚、町家の姿で残っています。


九州大学箱崎キャンパス -- 歴史的建造物を巡りました。  その様子は↓
                         http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/03/03/7583475

福岡市東区箱崎 - 米一丸地蔵尊・供養塔2015-03-11



鎌倉時代、駿河の国(現在の静岡県)で木島長者とまで呼ばれた朝臣元直なる上級貴族が、齢四十過ぎにして念願の子宝に恵まれました。生まれた米一丸は才覚に恵まれながら成長し、二十歳の時、絶世の美女・八千代姫を妻にめとったものの、横恋慕した主君・一条殿の策略によって博多の地で夜襲にあい、命からがら逃れながらも箱崎の地で無念の自害を遂げたと言われています。福岡市東区の箱崎地区、県道550線沿いの箱崎6丁目交差点角にある「米一丸の供養塔」は、その霊を弔うために里人が建てたものとされ、石造りで高さ4.2メートルのその九重の塔(花崗岩)は、現在、県指定の文化財となっています!      (福岡よかとこ.com より)

米一丸稲荷大明神

花崗岩製で、高さ4.2mの九重の石塔。


北九州市若松 - 若戸大橋と若松南海岸(若松バンド)、大正ロマンな港町を散策。2015-03-15

                                                                                   ※写真は click! で拡大されます。
若松駅より散策スタートです。
JR九州 筑豊本線(若松線)の起点駅です。

筑豊本線で活躍していたSL9600型19633号。
塗装が錆で浮いています。保存を要請したいですね。

若松駅の改札口横に保存される、セム1型石炭車。


南物揚場から若戸大橋を望む。



                           釣りを楽しむ方々がたくさんでした。

若松南海岸(若松バンド)
バンド= bund とは、海岸通り,沿岸道路 だそうです。
門司港レトロみたいに観光地化されてなくて、歴史ある建造物が魅力ある街並みと共存しています。

弁財天上陸場
中央部分のスロープに運搬物を置き、両側の階段部から人が引っ張ることでより効率よく重量物を引き上げられるそうです。  両側に取り付けられた洋風の灯明も素敵です。

旧ごんぞう小屋
石炭荷役をする「ごんぞう」の詰め所を模して建てられたレトロ調の休憩所です。




有料道路名:若戸大橋
我が国最初の長大吊橋として、昭和37年に開通
(旧日本道路公団が建設。一般有料道路)
・H2年に歩道を廃止し、4車線に拡幅
・H18年から北九州市道路公社が管理
・日平均交通量45,000台(H23)
2012年9月27日 - 開通50周年



石炭会館(若松石炭同業者組合事務所)
木造二階建ての建物で、明治38年に建設。
クロワッサンで有名な三日月屋さんのお客さんがいっぱいでした。



旧古河鉱業ビル(旧古河鉱業若松支店)
大正8年の建築で、鋭角の角地に建つ、煉瓦造2階建。
若松港のランドマークとして親しまれる、登録有形文化財(建造物)です。

                     湾の対岸にある、日本水産。
ニッスイ戸畑ビル、1936年(昭和11年)に建造された建物です。

上野ビル倉庫棟
煉瓦造二階建、切妻造瓦葺。両側の妻に三菱の社標が印象的です。
三菱合資若松支店として大正2年に建設されました。

上野海運ビル(旧三菱合資若松支店)
旧古河鉱業ビルとともに若松港に面して建つ、煉瓦造三階建、登録有形文化財(建造物)です。
正門の門柱も、煉瓦造です。



杤木ビル
若戸大橋のたもとに建つ最古級の鉄筋コンクリート造の建物。
大正9年に造船と船舶代理業を行う杤木商事の本社として建築されました。



出入船舶見張り所跡

わかちく史料館
若松港洞海湾を石炭積出港として開発してきた歴史を中心に北九州若松の変遷と、人々の暮らしとのかかわりをテーマにした史料館です。
明治23年北九州若松に生まれた若築建設(株)(旧若松築港会社)のビル3階にあり、歴史となりたちが紹介されています。
史料館内は撮影禁止です。

わかちく史料館 玄関前に、
「これは明治時代に洞海湾開発の測量基準点として設けられたものです。」とあります。

61本のワイヤーを束ねた主ケーブル(直径508mm)を固定する、橋台。高さ約35m。


橋台うらの壁面
若松区ゆかりの版画家、故・片山正信先生の木版画を原画とした作品で
数百枚の陶板タイルからなる壁画だそうです。

橋の下をちょっと歩くと、若松恵比寿神社があります。


料亭金鍋本館
明治28年に創業した老舗の料亭で、国の有形文化財に登録された料亭金鍋です。

旧吉田伝七商店
2階部には欄干の意匠も残り、商店建築の雰囲気を遺しています。



河伯洞、火野葦平旧居


高塔山展望台

高塔山展望台より、洞海湾 若戸大橋を望む。

DATA
有料道路名:若戸大橋
道路名:一般国道199号
事業費:225億円(当初51億、拡幅174億)
延長:約2.1km
橋梁形式:吊橋(627m)、支間長(367m)
車線数:4車線
道路規格:4種1級
設計速度:50km/h
起点 福岡県北九州市戸畑区川代一丁目
終点 福岡県北九州市若松区本町三丁目
償還完了予定 2027年12月6日

主ケーブル
延長:700m 直径:508mm
パイラル(鋼撚り線)構造
アルミフィラー設置後、ラッピングワイヤー巻付




石炭の運搬は、遠賀川が使われていました。
なぜ芦屋じゃなくて若松なのか?との疑問がありました。
響灘の波が荒いことや、遠賀川は度々洪水を起こしていたため、初代福岡藩主黒田長政は、遠賀川の築堤とともに、堀川の開削を計画しました。
堀川の開通は、かなり後の1804年ですが長政の堀川開削案がなかったら若松の繁栄はなかったのでは・・・、などなど考えます。

古代、都から大宰府に下る際、陸路も使いましたが、洞海(くきのうみ)を渡り、江川を通って島門(しまど、現在の遠賀町島津)に上陸して大宰府を目指しました。という資料もあります。

次は、堀川の入口である 中間唐戸や、寿命唐戸を観に行きたいと思っています。
江川も散策してみたいです。


筑紫郡那珂川町山田 - 少弐景資の墓~高津神社~岩門城跡(城山)2015-03-17

                                                                                   ※写真は click! で拡大されます。
1月の那珂川散策の折、岩門城跡(城山)と少弐景資の墓に行けませんでした。
春の陽気に誘われて再訪しました。

裂田の溝沿いの案内板より向かいます。
まっすぐ行った突き当りが、少弐景資の墓です。




高津神社

高津神社参道階段




社殿は、大きな岩の中です。

前回はなかった、岩門城への案内図が社務所にありました。
社務所の右裏から岩門城へ向かいます。

高津神社から少し下ると、岩門城への案内があります。
大きな岩が点在する、杉と竹の林を歩きます。

                          茶臼岩
「以前はこの大岩を揺らすと「コットン、コットン」と音がしていたそうですが、今は岩の間にかずらが巻き込んで音がしなくなっています。」
と、那珂川郷土史研究会の「探訪なかがわ」にありました。

                    ちょっと開けたところに出ました。

                   南側の堀切です。

                   堀切からちょっと坂を上ると 三の曲輪(南曲輪)です。



                       二の曲輪


                        一の曲輪のまえに、堀切。


                      到着しました。 一の曲輪、本丸です。

                      城山(岩門城址)195.4m。

                      本丸の北側にベンチがある広場があります。
                      北の曲輪です。 眺望がみごとです。



                       北の曲輪からの眺望。
                       左右に走るのが九州新幹線。 手前の住宅街が王塚台。

                      北の曲輪からの眺望。
                      左端が那珂川町役場。S字に蛇行する川が那珂川です。
                      上の方、左右に走るのが、都市高速環状線、野多目ICあたりです。
下山は参道左側の道から下りて来ました。

前回の那珂川散策は  ↓
福岡県筑紫郡那珂川町山田 - 裂田の溝(さくたのうなで)- 古代の人口水路     2015-01-27
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/01/27/7556362
福岡県筑紫郡那珂川町山田 - 伏見神社 - 高橋善蔵の墓     2015-01-29 10:12:29
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/01/29/7558146

帰路で、城山(岩門城跡)の西側ふもとに素敵な桜を見つけました。


筑紫郡那珂川町山田 - 初御代桜(ハツミヨザクラ)2015-03-17

                                                                                  ※写真は click! で拡大されます。
少弐景資の墓~高津神社~岩門城跡(城山) を訪れた後、帰り道で素敵な桜を見つけました。

城山(岩門城跡)の西側ふもとに、あざやかなピンクではないけれど素敵な桜を発見。

田圃を横切る道がないようなので、裂田の溝のPまで戻り、桜めがけて・・・

私有地で地元の方が大切に育てていらっしゃいます。
管理されてる方がいらっしゃいましたので、いろいろお話を伺いました。

初御代桜(ハツミヨザクラ)だそうです。
開花期が早いらしく、ちょっと終りぎみでした。 10日くらいが満開だったそうです。
切り花用で花びらが落ちないので、このような色になるそうです。







初御代桜の由来は
安徳の花樹農家の指導で宮崎県から切り花用として植樹されたそうです。
昔は蜜柑畑だったそうで、斜面の段々がうまい具合に映りをよくしてます。
40年ほどまえに植樹されたそうですが、たいへん手入れが行き届いています。
来年は、3月初旬、春の訪れとともに伺いたいと思います。