春日市 春日神社 - 「春日の杜」近くを散策しました。-① ― 2014-12-09
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大橋-井尻-二日市に向かう春日大通りと、春日公園の間にこんもりとした森があります。
ハローワークの帰りとかに気にはなっていましたが、今回じっくり散歩してきました。
春日公園のJR沿いから春日大通りまでにかけて「春日の杜通り」と呼ばれているみたいです。
大橋-井尻-二日市に向かう春日大通りと、春日公園の間にこんもりとした森があります。
ハローワークの帰りとかに気にはなっていましたが、今回じっくり散歩してきました。
春日公園のJR沿いから春日大通りまでにかけて「春日の杜通り」と呼ばれているみたいです。
春日の杜通りに面した、一の鳥居。
入口の鳥居は黒田一利により宝永七年(1710年)に奉納されたものだそうです。
入口の鳥居は黒田一利により宝永七年(1710年)に奉納されたものだそうです。
天正十四年(1586年)七月、戦乱の兵火にかかり、社殿や宝物、文書の一切を焼失。
寛永四年(1627年)に春日神社の再興に至る。
寛永四年(1627年)に春日神社の再興に至る。
手水舎あと。境内図に手水舎とあるが水は張ってない。
神門左手に新しい手水舎ができたからかな?
神門左手に新しい手水舎ができたからかな?
二の鳥居。
神門。
拝殿
社殿。
社務所。
本殿、西側。
社殿裏の左手に、大きな鬼瓦が置いてあります。
中は、懸魚でしょうか?
中は、懸魚でしょうか?
総改修前の木彫りの数々でしょうか、収めてあります。
本殿、東側。
若宮社
太力雄命および太玉命を祭神とする末社
太力雄命および太玉命を祭神とする末社
薬師堂
薬師堂は、1242年開山され江戸時代中期に廃寺となった禅宗寺春日山大光寺の跡、承天寺の末寺・艮岳院(ごんがくいん)が創建されたが合併により廃寺となり薬師堂のみ残された。
聖一國師・薬師如来・弘法大師、十三仏
聖一國師・薬師如来・弘法大師、十三仏
平成八年(1996年)に社殿の総改修、境内地整備が行われたらしい。
春日市 春日神社 - 「春日の杜」近くを散策しました。-② ― 2014-12-09
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春日市にある春日神社、歴史も古く市の名称の由来となっている有名な神社です。
春日市にある春日神社、歴史も古く市の名称の由来となっている有名な神社です。
境内に生える11本の樟はまとめて『春日の杜』と呼ばれ、県により昭和38年(1963年)の1月16日をもって天然記念物に指定されています。
上の案内板の裏に、位置図と樹の太さが記してあります。
杜の古さと樹齢が忍ばれます。
杜の古さと樹齢が忍ばれます。
No.1 神門の左にそびえてます。
No.2 神門の右にそびえてます。
No.2 境内から撮りました。 神門右がNo.1です。
No.3 2本の樹木が癒着し一体となっているとのこと。
No.4 一の鳥居からすぐ。 旧手水舎の横。
藤の蔦が絡まっています。
No.5は撮ってませんでした!
藤の蔦が絡まっています。
No.5は撮ってませんでした!
No.6。 神池。
神池に、左がNo.6、右がNo.7
三郎天神 - 春日神社末社。田の神とお産の神をまつる。
春日神社の史料のひとつ・『春日大明神記録』や、貝原益軒の編纂による史書・筑前国続風土記にもその名が現れるそうです。
春日神社の史料のひとつ・『春日大明神記録』や、貝原益軒の編纂による史書・筑前国続風土記にもその名が現れるそうです。
九郎天神・籾すり石 - 春日神社末社。田の神様とされる。
籾すり石、 「塔玉石」ともよばれ、
神幸祭のときお神輿を一時この石に休ませたと伝えられる。
神幸祭のときお神輿を一時この石に休ませたと伝えられる。
下の地蔵。
地録天神は住宅街の中にあります。
前回の散策時はわかりませんでした。
地録天神は住宅街の中にあります。
前回の散策時はわかりませんでした。
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