御船町の石橋 -- 八勢橋2014-07-24

通潤橋に向かう途中、御船より国道445号線沿いにたくさんの石橋があります。
熊本県御船町、八勢川に架かる二つの橋を訪ねました。

肥後と日向をむすぶ日向往還。
軍見坂を越え不便で険しい八勢川に1855年(安政2年)、八勢眼鏡橋が架けられ石畳の道も出来ました。
1886年(明治19年)、人の往来や物資の輸送を良くする為、御船川に近い八勢川下流に 下鶴橋が完成。
時代の変転、交通量の激増と交通機関の激変により、石橋もついに役目を終え、隣接したコンクリの新橋にとって変わりました。ひっそりと勇姿を残しています。

八勢の眼鏡橋(やせのめがねばし)     --- 上益城郡御船町上野

長さ56m、幅4.35m、高さ10.3m
安政2年(1855年)3月に完成
八勢川は増水すると不便で危険であったため、安政2年(1855)、御船の材木商林田能寛が私財を投じて架設したそうです。一帯は公園として整備されていて時代を感じることができます。
西南戦争の際、敗走する薩摩軍もここを通ったとされてます。





八勢眼鏡橋を下流側から望む。 右側に下の写真の八勢小橋がつながっています。

八勢(やせ)小橋       架橋:安政初期(1855)ごろ 石工:甚平     径間:1.4
八勢水路橋に水を通すために作られた石橋で、八勢眼鏡橋とは大小2連の眼鏡橋

八勢水路(やせすいろ)橋    架橋:文化11年(1814)石工:不明  長:2.2 巾:2.5 径間:1.6
八勢水路橋からさらに40年も前に架設された石橋で、農耕用水を通す目的で作られた水路橋


                            奥が石畳の道です。

鎌倉・室町・江戸・明治、肥後と日向を往き還りした古道。日向往還。
立ち寄りたいところがたくさんあります。またゆっくり訪れたいところです。

御船町の石橋 -- 下鶴橋2014-07-24

通潤橋に向かう途中、御船より国道445号線沿いにたくさんの石橋があります。
熊本県御船町、八勢川に架かる二つの橋を訪ねました。

肥後と日向をむすぶ日向往還。
軍見坂を越え不便で険しい八勢川に1855年(安政2年)、八勢眼鏡橋が架けられ石畳の道も出来ました。
1886年(明治19年)、人の往来や物資の輸送を良くする為、御船川に近い八勢川下流に 下鶴橋が完成。
時代の変転、交通量の激増と交通機関の激変により、石橋もついに役目を終え、隣接したコンクリの新橋にとって変わりました。ひっそりと勇姿を残しています。

下鶴橋     -  上益城郡御船町滝尾
下鶴橋は長さ71m(本体部分24.9m)、幅5.3m、アーチ径間23.55mで霊台橋、通潤橋につぐ日本で3番目に大きい単連アーチ橋です。明治15年(1882年)、種山石工・弥熊を棟梁とし、その父橋本勘五郎の指導によって建設が進められました。

                           下流側より望む

                           親柱、擬宝珠柱とその飾り石をかねた押さえ石には、徳利。

                           こちらは、杯です。

                           上流に向かう小道から・・・・  みごとな石積みと欄干です。                           
                            擬宝珠柱と丸みを帯びた欄干は、見事な石造り



                           上流側より望む。